2017.06.30
私とわのわ会

【ラジオ放送のアーカイブより】

平成29年6月30日 NPO法人日高わのわ会 事務局長 安岡千春

私がこの原稿のお話しをいただいた時少し悩みました。実は私高校生活にあまりいい思い出がないのです。1年生の時いじめる側といじめられる側のどちらも嫌で早退の多い生徒でした。何で表向きは仲良くしているふりしてヒソヒソ笑って意地悪するのかわからなかったです。人って怖いと思いました。

そんなんで卒業まで自分の本当の気持ちを誰にでも知られることなくソートうまく周りに合わせて過ごしたように思います。 もちろん、友達がいなかったわけではありません。でも、この経験も役にたってます。 丸の内卒業後洋裁学校でウエディングドレスを作りたくて入学、材料費捻出のために近くの養護学校寮母として宿直しては学校に通う毎日でした。保育士にもなりたくて勉強しながらでした。

若いってなんてエネルギーがあったのでしょう。ウエディングドレスも仕上がり、保育士の資格も取り結婚、4人の子供に恵まれ楽しい子育てといいたいところ、子どもと遊ぶなら4人も7人も変わらないと託児所を始めたりしているうちに村の保育園から声がかかり平成10年私は日高村子育て支援センターの保育士として働き始めました。

平成14年日高村保健師さんと話が弾み、施しでない対等の福祉を作ろうと盛り上がり支援センターに集まっているお母さんと子ども、デイサービスに集まっている高齢者や障がい者等が集まり、行政の縦割りサービスを横につないで誰でもが役割を持ち「ありがとう」を言い合えるそんなところを目指して始まったのが「住民参加型有償ボランティアグループわのわ」でした。

人の役に立ち「ありがとう」をもらえ充実感や達成感を味わえる、そんな場所があればきっとみんな笑顔でいられる。誰でもが主役!そんな思いで始まったわのわ会 平成17年平成の大合併で日高村も合併の危機、わのわ会も法人格が必要となりNPO法人となりました。名前の由来は、日高村が合併しても日高を残したかったのでわざわざ日高を付けました。

 

わのわは、「人の輪・話の話・平和の和」が大きな輪になりつながっていく事を願って付けた名前です。お陰様で13年だいぶん大きな輪になってきたと思います。

ミッションは「年をとっても障害を持ってもその人らしく暮らせる日高村」 合言葉は「出来る人が、出来ることを、出来る時間に」ライフスタイルを崩すことなく誰でもが働ける仕組みを私たちの就労と呼んでます。 常勤1名パート20人ほどで始まった会ですが有償のボランティアからはなかなか抜け出す事が出来ず最低賃金のほうが先上がっていく感じでした。

それでも謝金を手にしたお母さんが「結婚してから遠慮して旦那の給料で買えなかった結婚前使っていた化粧水が買える」といって喜んだ顔を忘れる事が出来ません。出来ることでみんなから感謝してもらいそのうえ化粧水も買えて、とても楽しい意義ある時間を過ごしました。 何をしているのか、私たちの仕事は企業が手を出さないニッチなサービスを仕事にしています。

組織は、喫茶部・福祉部・販売部・受託部・児童福祉部に分かれています。 具体的には、1日10件に足りないお買い物サービスと配食サービス、介護保険にかからない人たちのホームヘルプサービス(例えばゴミ出し・大掃除・草引き・通院付き添い)などで、そのサービスがあれば住み慣れた我が家で長く暮らせます。 又、トマト農家さんの手が足りない時だけ手伝いに行たり、そこで余って困っているトマトをもらったのがきっかけで喫茶のメニューに加わったトマトパスタは、ソースがおいしいから買って帰りたいというお客様の声も多くなり、加工や販売業は未経験分野だったので商品製造にあたり県が行う食品関係の講座には講座嵐といわれるくらい参加、高知大学の社会人講座FBCとか県の弥太郎商人塾なども受講して商品の磨き上げコンセプトシート作成、商談会にも参加して販路拡大に力をいれてきました。

トマト農家さんから買い取っている規格外トマトでソースを作り販売してきた成果も認めてもらい加工場新設計画やオムライス街道参加店秘密のピューレなど地域になくてはならない存在にもなってきました。 福祉部では、個性は強いがまじめで1つのことなら完璧にです。

そこで褒めてもらえるので2つ3つのことでもこなせるようになっていきます。何が障害で何が健常かよくわからない。そんな時間を積み重ね平成21年就労移行支援の福祉サービスを開始ここ3年くらいで一般就労に10名以上が就職し巣立っていきました。

こつこつ出来ることを積み重ね自信がつくので就労先でも頑張れます。仕事の帰りや休みの日には事務所によってくれ元気な成長した姿を見せてくれます。 この2~3年前から後継者つくりにも力を入れていて若い人たちが育っています。平均年齢始めたときには30歳前半今では40歳後半となっています。

常勤15名パート8名 大学生アルバイト14名 福祉事業所利用者13人合計50名 一番つらかったのは一緒に始めた保健師さんとの別れでした。その辛さを支えてくれたのが今の部長たちです。私は保健師さんと作って来たと思っていたのですが、周りにこんなにも頼りになる仲間がいたことに感謝でいっぱいです。

結局私は、何をやって来たのかよくわかりませんが、周りの人に期待されることに応えて、他にはないNPOと企業の中間のような働き方を作りたい。高校の時の「いじめられる側といじめる側のどちらでもないもの」そんな他にはない新しくて古いものを目指していきたいと思います。

私の根っこは役に立つ喜びをみんなで分かち合えるそれが私の喜びです。 私たちのNPO法人日高わのわ会の今後にもご期待ください。

 

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