2017.07.27
曽我五郎と十郎の仇討ち

【ラジオ放送のアーカイブより】

2017年7月27日ラジオ深夜便  高知県日高村 安岡千春

今年は、7月4日に台風3号が上陸したり集中豪雨があったりこの夏は雨が多いのかなと話していたら、県営住宅4階に住んでいる人が「普段4階にクモは上がってこないのに今年はやっつけてもやっつけても同じ場所に巣を作ってくれる。昔の人が言ったようにクモや百足が高いとこに上がると大水が出るって言うけど当たっているのかな?」
と話していました。
九州の方々、避難生活を送られている方、暑さも厳しくなりますが熱中症など体調にご注意くださいね。
日高村も仁淀川に面して自然豊かな地域ではありますが昔から水との闘いも繰り返されました。日高村には1975年76年と続けて大きな台風が到来。
仁淀川の支流である日下川と戸梶川が氾濫し1915件全壊、半壊、浸水25人の方が亡くないました。
日高村は、仁淀川の水位が上がると支流を逆流し始めるので水門を閉めます。すると日高村に降った雨は自ずと内に溜まって浸水する。
私が中学校のころは、すぐに大きな水たまりになる低い地域には船がありました。

今は 日下川放水トンネルが出来て調整池の整備も進み少しの雨では浸水しなくなりました。

話を 仁淀川の昔の顔にまつわる私の大好きなお話しに切り替えていきたいと思います。
背のぼりの大刀と言うお話しです。
800年位前のこと源頼朝を箱根で助けた土佐の国日下の庄、大和田生まれの行実と言うものがおりました。その弟子、曽我五郎と十郎が父の仇討ちをするために行実にあいさつに来たとき太刀を二振り弟子に与えたのが「みじん」と「ひげきりまる」と言う太刀です。
富士の裾ので仇を討っちとりそのまま頼朝の陣まで斬りこんでいき討たれてしまった。
頼朝は、なぜ箱根にあるはずの「ひげきりまる」がここにあるのかと激怒して犯人を調べるよう厳令が下り。それを知った行実は自分のしたことが知られると他の者に迷惑がかかると思い曽我五郎が形見にと置いていった太刀をもって山を下り生まれ故郷に向かったが、日下の江尻までたどり着いたとき中風になり、いまわのきわに宿の主人に「この大刀は、曽我五郎がつこうた名刀で、下々の者が扱える物ではない。なるべく早く宮を作り納めるが好い」と言い残した。
ところが宿主は強欲な男だったので「へへへ、これは金もうけになるぞどこぞの大家にうっちゃろう」と思い太刀をさげて仁淀川の河原へ行ったそうな。するとひとりでにさやを抜けて川に飛んではいり、たちまち大蛇になり川を行き来する人達を恐れさせたそうな。そこで江尻の人達が相談し行実の言い残したように大急ぎで宮を作りサヤを納めてお祭りするといつの間にか太刀はさやに納まって、大蛇も姿を消したその太刀を背のぼりの大刀と呼ぶようになったそうな。それから400年ほどした戦国時代その背のぼりの大刀を申し受けた波川玄蕃は、身から離さず信仰しておった、あるとき仁淀川で川遊びをしていて急に的に襲われあわやと言うとき太刀がたちまちさやから抜け出し大蛇になって敵を追い払い機器を救ったそうな。
小村神社には 今でも本殿の隣に剣神社があります。
(箱根神社に行実の記録が残っています。)

こんな仁淀川ですが、8月19日には 能津の花火大会があります。
場所は屋形船仁淀川 時間は13:00~21:00
第3回世界水上たたみ走り大会もあり透明度日本一の仁淀川の水面を全力で走る抜けることが出来ます。

※江尻と言うのは私の住んでいる地域で仁淀川に面しています。
江尻の河原は昔の打ち首処刑場で【首洗い場】もあったと言われています。
波川は、江尻の河原より少し下ったところの地名でいの町です。
能津は、江尻の河原よりずーと上の日高村です。

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